レジェンドライダー*塚本昭一

10代のころはモトクロスライダーとして活躍したのち‘84年にロードレースに転向。その後の成績が認められ、89年にはカワサキワークスライダーとなる。‘92年にはTTF-1クラスで年間チャンピオンを奪取した。鈴鹿8時間耐久レースには10回出場しているが、‘89年ルマン24時間耐久レースにも出場し見事3位となっている。現在は各地のサーキットでスクールなどのインストラクターを務めている。

塚本昭一
写真出展:http://kssr.ai-n.jp/custom.html
塚本昭一(鈴鹿8耐)
写真出展: https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10204526137660395&set=t.100002394759026&type=3

 

レジェンドライダー*北川圭一

18歳でロードレースデビューし、‘93年には全日本ロードレース選手権TTF-1クラスでチャンピオンとなった。2001年にX-Formulaクラスで、‘03年にはJSBクラスチャンピオンに輝く。翌年から世界耐久選手権にSEAT(スズキエンデュランスレーシングチーム)から参戦、ルマン24時間耐久レースの勝者となった。その後同チームから世界耐久にフルエントリー、‘05年、‘06年と連続世界チャンピオンという偉業を達成した。現在はライディングスクールの開催を始めサーキットアドバイザー、全日本ロードレース選手権での解説者などを務めている。

北川圭一
写真提供:㈱ケンツ
北川圭一(ボルドール24h耐久)
写真出展:https://www.k1-kitagawa.com/photo.html

 

レジェンドライダー*藤原儀彦

’83年に17歳でロードレースにデビュー。‘87年には21歳の若さながら全日本ロードレース選手権GP500ccクラスにて年間チャンピオンとなり、さらに‘88年、‘89年と全日本GP500ccクラスで3連覇という偉業を成し遂げた。選手引退後はヤマハのmotoGPマシンYZF-M1の開発ライダーを務め、現在はヤマハテクニカルセンターの2輪教習所に指導員として勤務している。

写真出展:https://race.yamaha-motor.co.jp/sp/suzuka8h/2015/yamahateam/14.php
藤原儀彦(1989年日本GP)
写真出展: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%84%80%E5%BD%A6#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Norihiko_Fujiwara_1989_Japanese_GP.jpg

 

レジェンドライダー*伊藤真一

‘87年にレースデビュー、翌年88年国際A級ライダー昇格と同時にHRC契約ライダーとして全日本ロードレースGP500ccクラスに参戦、世界GP500ccライダーとして大活躍した。全日本選手権はGP500、スーパーバイク、JSBの3クラスで4度のチャンピオンに輝き、また鈴鹿8時間耐久レースも‘97年、98年の連覇を含め4度制している。現在はAstemo Honda Dream SI Racingのチーム監督を務めている。

伊藤真一
写真出展:https://www.as-web.jp/bike/481306/attachment/8h180706025h
伊藤真一(JSB1000)
写真出展:https://www.honda.co.jp/JRR/race2006/rd05/photo/index3.html

レジェンドライダー*岡田忠之

’88年に国際ライダーに昇格後、’89から’91年にかけて全日本ロードレースGP250クラスにおいて3連覇を達成した。そして‘93年からはHRCワークスライダーとして世界GP250㏄クラスに進出し2勝を挙げる。‘96年からはGP500㏄クラスにステップアップ。ワークスマシンNSR500を駆けり、翌’97年には年間ランキング2位となった。現在は鈴鹿サーキットのレーシングスクールSRS-MOTOの校長を務める。

岡田忠之
写真出展:https://ohana5.co.jp/alliance_partner/tady-okada
岡田忠之+NSR500
写真出展: https://www.facebook.com/1602417333370668/posts/2671818666430524/

レジェンドライダー*八代俊二

‘84年、当時の全日本ロードレース最高峰クラスTTF-1にてモリワキモンスターを駆けり、国際A級ライダー昇格1年目ながら見事TTF-1チャンピオンに輝いた。これらの活躍で‘86年シーズン途中からは世界GP500ccクラスにホンダNSR500にて参戦する。翌87年からはHRC契約ライダーとしてロスマンズカラーのNSR500を駆けり、世界GPを転戦した。現在はモーターサイクルジャーナリスト、TV解説者などの活動に勤しんでいる。

八代俊二
写真出展:https://www.autoby.jp/_users/16924237

 

八代俊二+ホンダNSR500
写真出展:https://twitter.com/RacersSugo/status/1300370740454199297/photo/1

 

河崎裕之副会長、「情熱のロードレース」誌のインタビューに応じる

河崎裕之副会長が、「情熱のロードレースVol.4 1983 WGP最終戦 サンマリノGP」(八重洲出版刊)のインタビューに応じました。

情熱のロードレースVol.4 1983 WGP最終戦 サンマリノGP

1983年のWGP500は、この年を限りに引退を考えていたケニー・ロバーツと初タイトル獲得を目指すフレディ・スペンサーがシーズンを通してデッドヒートを繰り広げた年としてGP史に刻まれています。

このふたりのアメリカ人ライダーの争いは、ヤマハYZR500とGP復帰5年目を迎えどうしてもタイトルが欲しいホンダNS500との戦いでもありました。

それまでスズキに在先していた河崎副会長は、WGP500でチャンピオンを獲得すべくYZR500の開発ライダーを依頼され1983年はヤマハに移籍しています。

すでに完成していた83年型YZRに乗ったとき、河崎副会長は何を感じたのか。そして、どう造りこんでいこうと考えたのか。「夜中でも考え続けた」と当時の状況を吐露しています。

河崎副会長の自信作は84年型のYZRでした。『ケニー、いいバイクが出来た。もう1年走って欲しい』と説得しましたが、この願いは叶いませんでした。

さらにレーシングライダーと開発ライダーの違い、やりがいにも言及します(写真は校正紙使用のため実際のムックとは一部異なります)。

情熱のロードレースVol.4 (ヤエスメディアムック)
1983 WGP500最終戦 サンマリノGP
発売日:2022年5月31日(火)
定価:1,650円(本体 1,500円)
判型:A4
綴じ:平綴じ
刷色:オールカラー
ページ数:100ページ
発行所:株式会社八重洲出版
Director:川上 滋人
編集人:太田 力也
発行人:酒井 雅康

入手方法:https://www.yaesu-net.co.jp/item/passionate-motorcycle-road-racing-4/

事務局:古谷重治記