相談役 – 大久保 力

日本のモータースポーツ史草分け的存在のひとりで、名門オートバイクラブ「東京オトキチクラブ」の出身。いわゆる浅間レース時代からその片鱗を見せ、トーハツのワークスライダーとして抜擢され、数々のレースに優勝するなど活躍した。196211月に開催された鈴鹿サーキット完成記念・第1回全日本ロードレースにはスズキへ移籍して出場。現在では社会活動にも力を入れ、国会議員で作るオートバイ議員連盟結成や高速道路二人乗り禁止の解除などにその力を発揮した。日本モータースポーツ界の重鎮的存在。

関連企業様へご協賛、ご協力のお願い

<関連企業様へご協賛、ご協力のお願い>

MFJレジェンドライダースクラブでは、当クラブの設立趣旨とその活動などをご理解いただき、関連企業様及び一般企業様へのご協賛、ご協力をお願い致しております。

ご興味のある企業様はぜひご一報いただければ幸いです。

連絡先:〒104-0045 東京都中央区築地3-11-6 10F

MFJレジェンドライダースクラブ サポーターズ 係

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副会長 – 吉村太一

1960年代から70年代前半にスズキ、ホンダの両メーカーワークスから全日本選手権や世界GPに参戦し、数々の勝利を挙げた。オフロードライダー選手引退直後の1975年にアールエスタイチを設立し、これまでに数多くのロードレースライダーのサポート活動などをし、業界の重鎮としての存在感を見せている。

副会長 – 河崎裕之

高校時代にはモトクロスに熱中し、やがてロードレースに転向。1967年にヤマハと契約、1970年に全日本シニア251cc以上でチャンピオンとなる。1976年、77年にはインドネシアGPで優勝する。1980年代にはヤマハYZR500の開発を行いながら全日本、世界GPにも参戦した。1988年引退。

 

 

 

 

 

役員 – 水谷 勝

1979年全日本ロードレース選手権国際A750ccクラスチャンピン。以後スズキと契約、1982年は参戦レース7戦全戦全勝とういう成績で国際A500ccクラスチャンピオンに輝くなど、1980年代はスズキのエースライダーとして活躍した。現在は若手の育成のほか、ボランティア団体「風の会」を結成し社会活動にも力を入れている。

 

 

 

 

 

役員- 清原明彦

1977年、カワサキのテストライダーを兼任しながらワークスライダーとしても契約、同年の世界GPドイツ大会(ホッケンハイム)では初参加のKR250でポールポジションを獲得(決勝は2位)。以後KR750を始め、KR250KR350で世界GPや全日本ロードレース選手権に出場、数々のレースで勝利を収めた。現在は神戸でバイクショップ「プロショップキヨ」を経営。

 

 

 

 

 

役員- 森脇 護

1960年後半からレース活動を開始、1969年には海外レースにも参戦し、同年のシンガポールGPでは350ccクラスで優勝、オープンクラスでも2位入賞と活躍。1972年はセミエキスパート 250ccクラスチャンピオン。1973年、鈴鹿にてモリワキエンジニアリングを創業し、世界初のアルミフレームなどを独自開発した。技術者、指導者としてマシンやパーツの開発、またライダー育成を精力的に行い、数多くの著名ライダーを輩出している。

 

 

 

 

 

 

会長 – 杉本五十洋

カワサキのワークスライダー時代を経て、1978年に開催された第1回鈴鹿8時間耐久レースではTZ750を駆けりポールポジションを獲得、決勝レースは2位という成績を収めた。ライダーを引退したのちはMFJロードレース委員長を長年勤め、日本のロードレース界を牽引、その発展に貢献した。