高橋国光さん、逝去

SUPER GT500に参戦するチームクニミツの高橋国光さんが、本日(3月16日)亡くなりました。82歳でした。

少年期は健康優良児の高橋さんでしたが、ここ数年は体調が思わしくない日があり入退院を繰り返していました。年明けにも入院し、退院して療養していましたが食欲が無く体力が落ちていたそうです。

高橋さんは、浅間(群馬県・長野県)で開催された第1回、第2回のモーターサイクルクラブマンレースでの成績が認められホンダ・ワークスに入り、1961年の西ドイツGP250ccクラスにホンダRC162で出場し優勝しました。これが2輪世界グランプリでの日本人初優勝でした。

1966年からは4輪レースに出場、1999年まで現役を続け、その後も1992年に立ち上げたチームクニミツでSUPER GTに参戦を続けていました。チームクニミツは2018年、2020年のSUPER GT500クラスのチャンピオン・チームです。

日本の近代モータースポーツの第一人者であった高橋さんは、早くから欧米のモータリーゼーションの発達やモータースポーツ文化に触れ、日本にもモータースポーツ文化を根付かせるために長年にわたり尽力されていました。

MFJレジェンドライダースクラブの活動にもご理解とご協力をいただき、名誉会員にもなっていただきました。温和でとてもやさしい人柄で、いつも明るく語りかけてくれていました。

高橋国光(たかはし くにみつ)

1940年 S15年1月29日 東京都小金井市 生まれ 享年82歳

<主な戦歴>

1958 第1回モーターサイクルクラブマンレース大会 350ccクラス BSA 優勝
1959 第2回モーターサイクルクラブマンレース大会 500ccクラス BSA 優勝
第3回全日本オートバイ耐久ロードレース 耐久500ccクラス BSA 優勝
1961 西ドイツGP 250ccクラス ホンダRC162 優勝
1962 マン島TTレース 125ccクラス リタイア
1966 第3回日本グランプリ GTレース フェアレディ 優勝
1967 第4回日本グランプリ GPレース ニッサンR380AⅡ 2位
1995 ル・マン24時間 ホンダNSX 8位(クラス優勝)

<主な表章>

2002 日本自動車殿堂
2013 ル・マン24時間 ホール・オブ・フェイム
2018 MFJモーターサイクルスポーツ殿堂
2020 スポーツ功労者顕彰

事務局:古谷重治記

MFJ、2021年殿堂入り受賞者発表

前列左から殿堂入りした
久保 和夫氏、鈴木 忠男氏、山本 隆氏、吉村 太一氏
後列右から
MFJ殿堂評議会 大久保 力委員長、高桑 元委員、森脇 南海子副委員長、坪内 隆直委員、鈴木 哲夫MFJ会長

12月18日(土)に、オンライン配信にて開催された「MFJ MOTO AWARDS SHOW 2021」で、今年度のMFJ殿堂入りの受賞者が発表されました。

今年度の殿堂入り受賞者は

久保 和夫氏
鈴木 忠男氏
山本 隆氏
吉村 太一氏

の4名でした。

MFJ殿堂評議会 大久保 力委員長
「今年度は、殿堂評議会においてモトクロス部門の黎明期を対象にすることとなりましたが、ご存知の通り、1960年代はマシンもライダーのテクニックも急速な進歩を始めた時期でもあり、群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)のチャンピオンのなかから 今回の 4 名の方を選出させていただくことは大変悩ましいことでした。 その上で、チャンピオン獲得などレースの成績はもちろんですが、その後の活動において自らチームを率いて多くのライダーを輩出したことや、協会の活動への長きにわたるご協力などを観点に選考をさせていただきました」

顕彰式後、レジェンドライダーズクラブ(LRC)の吉村 太一副委員長は、「今後も健康に注意しながら若いライダーとモータースポーツを楽しんでいきます」と抱負を語りました。また、LRCの活動にいつも協力をいただいている忠(ちゅう)さんこと鈴木 忠男氏は「エライものを貰(もら)っちゃった」とさかんに恐縮していました。

「MFJ モーターサイクルスポーツ殿堂」は、日本のモーターサイクルスポーツの歴史を後世に伝え、輝かしい実績のあった功労者ならびに選手を顕彰するため、2018 年度に設立されました。これまでの 殿堂顕彰は、高橋 国光、伊藤 光夫、本田 宗一郎、吉村 秀雄の各氏です。

今年度の顕彰者プロフィールなど、詳しくは
https://www.mfj.or.jp/wp-content/uploads/2021/12/MFJ_YEAR_BOOK_2021_WEB.pdf
「YEARBOOK2021 MFJ全日本選手権シリーズランキング」の2ページ目からをご参照ください。

事務局:古谷 重治記

鈴鹿サーキットで超一級の歴史的資料が発見されました。

みなさんは、決勝開始直前に中止になったレースがあったことをご存知でしょうか? それが約40年前に鈴鹿サーキットで開催された’82日本GP 国際A・B500とスーパー1000でした。特にA・B500は、国内初の4メーカー対決が実現するという前評判で注目を集めていました。ところが、台風が紀伊半島を襲い激しい風雨のためレースができなくなってしまったのです。

レースが中止されたため当時の専門誌も予選の記録はほとんど掲載せず、正式な予選結果表やスターティング・グリッド表も残す必要が無かったため散逸して、いつしかレース自体が忘れ去られていました。

ところがこの秋、鈴鹿サーキットの施設内で、この時のスターティング・グリッド表が発見されたのです。ロードレース界にとっては、古墳発見のような、超一級の歴史資料であることは間違いありません。

幻のスターティング・グリッド表

このスターティング・グリッド表には、当クラブの杉本五十洋会長や、河崎裕之副会長、清原明彦役員、水谷 勝役員が名を連ねています。さっそくみなさんにお話を伺うと、よほど印象に残っていたのでしょう、昨日のことように当時の様子や心境を語ってくれました。

そこで、それらの話をまとめ、10月28日に発売された「情熱のロードレース Vol.2 1987年 鈴鹿8耐」(八重洲出版刊)というムックに「幻の4ワークス対決 そして、もうひとつの情熱のロードレース」というタイトルで寄稿させていただきました。

執筆には、木の実レーシングの新田 茂さんや、1980年時代のライダーイラストでは第一人者だった村井 真さんなどにも応援を頼み、協力していただきました。

当日、雨に打たれながら鈴鹿サーキットにいた方も、レースファンとして結果を楽しみにしていたひとも、さらには今のレースに関わっている方も、『あの時あんなことがあったんだ』と、考えさせられる仕上がりになりました。

ちなみに当クラブの川島賢三郎事務局長は、 当日午前中に行われた国際A・B125の決勝に、豪雨の中カッパ無しで出場しています。また、このホームページを作ってくれている平野知子さんも前日に行われたノービス125ccクラスの雨の決勝を走っていました。

みなさんがこの「スターティング・グリッド表」を見て、何を思い出し、何を語り始めるか、新たな論証や、研究、考察が出てくることも楽しみです。

情熱のロードレース Vol.2 1987年 鈴鹿8耐

タイトル:情熱のロードレース Vol.2 1987年 鈴鹿8耐
発売日:2021年10月28日(木)
発行形態:ムック
価格:1,485円(本体 1,350円)
判型:A4
綴じ:平綴じ
ページ数:100P
刷色4色: 94P
        1色: 6P
発行所:八重洲出版
編集長:川上 滋人
編集人:五十嵐重明
発行人:酒井 雅康
入手方法:https://www.yaesu-net.co.jp/item/passionate-motorcycle-road-racing-2/

事務局:古谷重治記

「水谷 勝、初めてのトライアル遊び。」

 

自然山通信2021年9月号の表紙。左から2人目がトライアル競技初挑戦の水谷 勝役員。近藤博志レジェンドを彷彿とさせる乗馬型ヘルメットを着用しています。そして、手前のゼッケンプレート11番が愛機ホンダTLR200です

水谷 勝役員が、老舗トライアル専門誌「自然山通信9月号」に取り上げられました。「水谷勝、初めてのトライアル遊び。」というタイトルで、4ページの特集が組まれています。

8月上旬、岐阜県郡上市の鷲ヶ岳スキー場で開催された「奥長良トライアルIN鷲ヶ岳」のビギナークラスに、なんと水谷さんがエントリーしたのです。「最近足腰が弱ってしまって、これはイカンと鍛えるために始めました」。

水谷さんが全日本ロードレースのA・B500クラスで7連勝しチャンピオンを獲得したのが1982年。約40年前の事ですが、今回の取材も、チャンピオン獲得の瞬間に現場で取材した西巻 裕さんが密着しています。

さて、西巻さんの目に水谷役員はどのように映ったのでしょうか? 本誌には笑顔の転倒写真、息が上がって疲れ切った顔写真などが満載です。かなりのトレーニングになったことは間違いありません。

しかし、弱音を吐くようなひとではありません。「これからも続けていく」と本人は意気軒昂(いきけんこう)です。トライアル・ライダーをあらためて尊敬しつつ、トライアルをとおしてのトレーニングに励むそうです。

自然山通信
定価:314円(税込)
判型:B5
綴じ:平綴じ
刷色:オールカラー
ページ数:52P
編集:杉谷 誠、西巻 裕
発行:有限会社自然山通信

入手方法:https://www.shizenyama.com

「初めてHondaを勝たせたオトコ!!」

 

吉村太一副会長の特集が組まれたSOB MAGAZINE 第16号の表紙

吉村太一副会長が、今号のSOB(Son of a Bike)MAGAZINE 第16号に取り上げられました。「初めてHondaを勝たせたオトコ!!」というタイトルで、表紙、とびらを含めて10ページの大特集です。

内容は、少年期にスクーターと出会い、それがいつしかバイクに替わり、モトクロスライダーになって世界に挑戦していくという、ライダー人生の独白手記です。

山本 隆先輩から譲られたヤマハYA5を、さらに速くするために、ヤマハ本社に手紙で問い合わせたこと、ヤマハの畑部長から手書きの図面が送られてきたことなどのエピソードも紹介されていました。

1972年、レース関係者やファンを驚かせたスズキからホンダへの電撃移籍ですが、この時に犯してしまった不義理に今も心を痛めている心境なども吐露(とろ)されています。

日本のモトクロスライダーのトップに立ち、そこで得た勝つための姿勢や、レースに限らず人生で大切にすべきことは何か? 母から教えられた商売の原点なども行間から滲(にじ)み出る珠玉の半生記に仕上がっています。

SOB(Son of a Bike)MAGAZINE
定価:220円(税込)
判型:A4版
ページ数:24
綴じ:中綴じ
刷色:オールカラー
編集:中尾省吾
発行:株式会社 むう企画

入手方法:QRコード

あるいは、下記URLへ移動し、16号の表紙写真をクリックしてください。
https://sob.base.shop

2020年 年末ご挨拶:会長 杉本五十洋

2020年はコロナ禍のため、MFJレジェンドライダースクラブも活動自粛の1年でした。

杉本五十洋 会長から動画にて皆様にご挨拶させていただきます。

一人一人が感染予防を心掛け、良い新年、2021年をお迎えください。

相談役 – 大久保 力

日本のモータースポーツ史草分け的存在のひとりで、名門オートバイクラブ「東京オトキチクラブ」の出身。いわゆる浅間レース時代からその片鱗を見せ、トーハツのワークスライダーとして抜擢され、数々のレースに優勝するなど活躍した。196211月に開催された鈴鹿サーキット完成記念・第1回全日本ロードレースにはスズキへ移籍して出場。現在では社会活動にも力を入れ、国会議員で作るオートバイ議員連盟結成や高速道路二人乗り禁止の解除などにその力を発揮した。日本モータースポーツ界の重鎮的存在。

副会長 – 吉村太一

1960年代から70年代前半にスズキ、ホンダの両メーカーワークスから全日本選手権や世界GPに参戦し、数々の勝利を挙げた。オフロードライダー選手引退直後の1975年にアールエスタイチを設立し、これまでに数多くのロードレースライダーのサポート活動などをし、業界の重鎮としての存在感を見せている。

副会長 – 河崎裕之

高校時代にはモトクロスに熱中し、やがてロードレースに転向。1967年にヤマハと契約、1970年に全日本シニア251cc以上でチャンピオンとなる。1976年、77年にはインドネシアGPで優勝する。1980年代にはヤマハYZR500の開発を行いながら全日本、世界GPにも参戦した。1988年引退。

 

 

 

 

 

役員 – 水谷 勝

1979年全日本ロードレース選手権国際A750ccクラスチャンピン。以後スズキと契約、1982年は参戦レース7戦全戦全勝とういう成績で国際A500ccクラスチャンピオンに輝くなど、1980年代はスズキのエースライダーとして活躍した。現在は若手の育成のほか、ボランティア団体「風の会」を結成し社会活動にも力を入れている。