鈴鹿サーキットで超一級の歴史的資料が発見されました。

みなさんは、決勝開始直前に中止になったレースがあったことをご存知でしょうか? それが約40年前に鈴鹿サーキットで開催された’82日本GP 国際A・B500とスーパー1000でした。特にA・B500は、国内初の4メーカー対決が実現するという前評判で注目を集めていました。ところが、台風が紀伊半島を襲い激しい風雨のためレースができなくなってしまったのです。

レースが中止されたため当時の専門誌も予選の記録はほとんど掲載せず、正式な予選結果表やスターティング・グリッド表も残す必要が無かったため散逸して、いつしかレース自体が忘れ去られていました。

ところがこの秋、鈴鹿サーキットの施設内で、この時のスターティング・グリッド表が発見されたのです。ロードレース界にとっては、古墳発見のような、超一級の歴史資料であることは間違いありません。

幻のスターティング・グリッド表

このスターティング・グリッド表には、当クラブの杉本五十洋会長や、河崎裕之副会長、清原明彦役員、水谷 勝役員が名を連ねています。さっそくみなさんにお話を伺うと、よほど印象に残っていたのでしょう、昨日のことように当時の様子や心境を語ってくれました。

そこで、それらの話をまとめ、10月28日に発売された「情熱のロードレース Vol.2 1987年 鈴鹿8耐」(八重洲出版刊)というムックに「幻の4ワークス対決 そして、もうひとつの情熱のロードレース」というタイトルで寄稿させていただきました。

執筆には、木の実レーシングの新田 茂さんや、1980年時代のライダーイラストでは第一人者だった村井 真さんなどにも応援を頼み、協力していただきました。

当日、雨に打たれながら鈴鹿サーキットにいた方も、レースファンとして結果を楽しみにしていたひとも、さらには今のレースに関わっている方も、『あの時あんなことがあったんだ』と、考えさせられる仕上がりになりました。

ちなみに当クラブの川島賢三郎事務局長は、 当日午前中に行われた国際A・B125の決勝に、豪雨の中カッパ無しで出場しています。また、このホームページを作ってくれている平野知子さんも前日に行われたノービス125ccクラスの雨の決勝を走っていました。

みなさんがこの「スターティング・グリッド表」を見て、何を思い出し、何を語り始めるか、新たな論証や、研究、考察が出てくることも楽しみです。

情熱のロードレース Vol.2 1987年 鈴鹿8耐

タイトル:情熱のロードレース Vol.2 1987年 鈴鹿8耐
発売日:2021年10月28日(木)
発行形態:ムック
価格:1,485円(本体 1,350円)
判型:A4
綴じ:平綴じ
ページ数:100P
刷色4色: 94P
        1色: 6P
発行所:八重洲出版
編集長:川上 滋人
編集人:五十嵐重明
発行人:酒井 雅康
入手方法:https://www.yaesu-net.co.jp/item/passionate-motorcycle-road-racing-2/

事務局:古谷重治記

「水谷 勝、初めてのトライアル遊び。」

 

自然山通信2021年9月号の表紙。左から2人目がトライアル競技初挑戦の水谷 勝役員。近藤博志レジェンドを彷彿とさせる乗馬型ヘルメットを着用しています。そして、手前のゼッケンプレート11番が愛機ホンダTLR200です

水谷 勝役員が、老舗トライアル専門誌「自然山通信9月号」に取り上げられました。「水谷勝、初めてのトライアル遊び。」というタイトルで、4ページの特集が組まれています。

8月上旬、岐阜県郡上市の鷲ヶ岳スキー場で開催された「奥長良トライアルIN鷲ヶ岳」のビギナークラスに、なんと水谷さんがエントリーしたのです。「最近足腰が弱ってしまって、これはイカンと鍛えるために始めました」。

水谷さんが全日本ロードレースのA・B500クラスで7連勝しチャンピオンを獲得したのが1982年。約40年前の事ですが、今回の取材も、チャンピオン獲得の瞬間に現場で取材した西巻 裕さんが密着しています。

さて、西巻さんの目に水谷役員はどのように映ったのでしょうか? 本誌には笑顔の転倒写真、息が上がって疲れ切った顔写真などが満載です。かなりのトレーニングになったことは間違いありません。

しかし、弱音を吐くようなひとではありません。「これからも続けていく」と本人は意気軒昂(いきけんこう)です。トライアル・ライダーをあらためて尊敬しつつ、トライアルをとおしてのトレーニングに励むそうです。

自然山通信
定価:314円(税込)
判型:B5
綴じ:平綴じ
刷色:オールカラー
ページ数:52P
編集:杉谷 誠、西巻 裕
発行:有限会社自然山通信

入手方法:https://www.shizenyama.com

「初めてHondaを勝たせたオトコ!!」

 

吉村太一副会長の特集が組まれたSOB MAGAZINE 第16号の表紙

吉村太一副会長が、今号のSOB(Son of a Bike)MAGAZINE 第16号に取り上げられました。「初めてHondaを勝たせたオトコ!!」というタイトルで、表紙、とびらを含めて10ページの大特集です。

内容は、少年期にスクーターと出会い、それがいつしかバイクに替わり、モトクロスライダーになって世界に挑戦していくという、ライダー人生の独白手記です。

山本 隆先輩から譲られたヤマハYA5を、さらに速くするために、ヤマハ本社に手紙で問い合わせたこと、ヤマハの畑部長から手書きの図面が送られてきたことなどのエピソードも紹介されていました。

1972年、レース関係者やファンを驚かせたスズキからホンダへの電撃移籍ですが、この時に犯してしまった不義理に今も心を痛めている心境なども吐露(とろ)されています。

日本のモトクロスライダーのトップに立ち、そこで得た勝つための姿勢や、レースに限らず人生で大切にすべきことは何か? 母から教えられた商売の原点なども行間から滲(にじ)み出る珠玉の半生記に仕上がっています。

SOB(Son of a Bike)MAGAZINE
定価:220円(税込)
判型:A4版
ページ数:24
綴じ:中綴じ
刷色:オールカラー
編集:中尾省吾
発行:株式会社 むう企画

入手方法:QRコード

あるいは、下記URLへ移動し、16号の表紙写真をクリックしてください。
https://sob.base.shop

2020年 年末ご挨拶:会長 杉本五十洋

2020年はコロナ禍のため、MFJレジェンドライダースクラブも活動自粛の1年でした。

杉本五十洋 会長から動画にて皆様にご挨拶させていただきます。

一人一人が感染予防を心掛け、良い新年、2021年をお迎えください。

相談役 – 大久保 力

日本のモータースポーツ史草分け的存在のひとりで、名門オートバイクラブ「東京オトキチクラブ」の出身。いわゆる浅間レース時代からその片鱗を見せ、トーハツのワークスライダーとして抜擢され、数々のレースに優勝するなど活躍した。196211月に開催された鈴鹿サーキット完成記念・第1回全日本ロードレースにはスズキへ移籍して出場。現在では社会活動にも力を入れ、国会議員で作るオートバイ議員連盟結成や高速道路二人乗り禁止の解除などにその力を発揮した。日本モータースポーツ界の重鎮的存在。

副会長 – 吉村太一

1960年代から70年代前半にスズキ、ホンダの両メーカーワークスから全日本選手権や世界GPに参戦し、数々の勝利を挙げた。オフロードライダー選手引退直後の1975年にアールエスタイチを設立し、これまでに数多くのロードレースライダーのサポート活動などをし、業界の重鎮としての存在感を見せている。

副会長 – 河崎裕之

高校時代にはモトクロスに熱中し、やがてロードレースに転向。1967年にヤマハと契約、1970年に全日本シニア251cc以上でチャンピオンとなる。1976年、77年にはインドネシアGPで優勝する。1980年代にはヤマハYZR500の開発を行いながら全日本、世界GPにも参戦した。1988年引退。

 

 

 

 

 

役員 – 水谷 勝

1979年全日本ロードレース選手権国際A750ccクラスチャンピン。以後スズキと契約、1982年は参戦レース7戦全戦全勝とういう成績で国際A500ccクラスチャンピオンに輝くなど、1980年代はスズキのエースライダーとして活躍した。現在は若手の育成のほか、ボランティア団体「風の会」を結成し社会活動にも力を入れている。

 

 

 

 

 

役員- 清原明彦

1977年、カワサキのテストライダーを兼任しながらワークスライダーとしても契約、同年の世界GPドイツ大会(ホッケンハイム)では初参加のKR250でポールポジションを獲得(決勝は2位)。以後KR750を始め、KR250KR350で世界GPや全日本ロードレース選手権に出場、数々のレースで勝利を収めた。現在は神戸でバイクショップ「プロショップキヨ」を経営。

 

 

 

 

 

役員- 森脇 護

1960年後半からレース活動を開始、1969年には海外レースにも参戦し、同年のシンガポールGPでは350ccクラスで優勝、オープンクラスでも2位入賞と活躍。1972年はセミエキスパート 250ccクラスチャンピオン。1973年、鈴鹿にてモリワキエンジニアリングを創業し、世界初のアルミフレームなどを独自開発した。技術者、指導者としてマシンやパーツの開発、またライダー育成を精力的に行い、数多くの著名ライダーを輩出している。